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東京高等裁判所 昭和39年(行コ)32号 判決

控訴人 被告 東京法務局供託官 中川庫雄

指定代理人 検事 岩佐善己 外一名

被控訴人 原告 里見等

代理人弁護士 水野東太郎 外四名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す、被控訴人の請求を棄却する、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上並びに法律上の主張及び証拠の提出、認否は、被控訴代理人において、

「控訴人は民法第四九六条の解釈から同条の規定する一定の消滅事由が発生するまでは、取戻権は供託のときよりいつでも行使することができ、その行使については何等法律上の障害はないと主張する。然しながらいつでも行使し得るとの一事をもつて法律上の障害は何もないと断定することは誤りである。権利行使に関する法律上の障害の有無はその権利の性質から判断されなければならない。供託の法律関係についての論義は一応措くとして、原審判示のとおり供託が私法上の第三者のためにする供託契約に類似する性質を有するものとしても、供託が通常の寄託ないし消費寄託と著しく異る点を見逃がすことは出来ない。それは法が供託に結びつけたところの一定の効果である。それは弁済供託についていえば、民法第四九四条に規定する供託者の債務免責の利益である。而して、民法第四九六条は供託物を取戻した場合には供託を為さざりしものと見做す旨規定している。供託及び供託物を取戻した場合の夫々の効果は供託者の主観的な意思にかかわりなく認められる。ここにおいて供託者が取戻権を行使するについては供託をしなかつたものと見做されることを覚悟しなければならない。したがつて供託者に債務免責の利益を保持する必要があることは取戻権の行使に関する重大な法律上の障害といわざるを得ない。仮りにこれが法律上の障害とはいい得ないとしても、これに準ずるものといわなければならない。すなわち民法第一六六条の解釈として一般に区別されているところの法律上の障害と事実上の障害に於ける権利発生の不知、あるいは権利行使の懈怠もしくは行使可能性の不知等とは異なり、権利の本質からその行使が不可能と解されるからである。同じく事実上の障害という場合でも供託制度そのものから生ずる事由とその他の事由とは区別して然るべきである。」

と述べ、控訴代理人において、

「供託の基礎となる法律関係の当事者間における当該供託を有効ないし無効とする和解等によつて、はじめて供託物の還付ないし取戻請求権の消滅時効の進行することを認めることは、当該供託者と供託官との供託関係にそれ以外の事由を不当に導入するものであり、本来供託官のあずかり知らないかかる事由(また供託官はかかる事由を調査・確認すべき権限を与えられていない)をもつて供託関係から生ずる前記諸権利の時効を云々することは、当事者たる供託官の側からする時効の起算点の確認を著しく不安定、不確実にするもので、客観的な時効制度の本旨に反する結果とさえなるものであつて、供託の特殊性を重視した立法論としてはともかく解釈論上は到底これに従うを得ない。」

と述べたほか、原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。

理由

成立に争のない甲第一号証並びに本件口頭弁論の全趣旨によれば、被控訴人は訴外村川利喜雄所有の宅地二十二坪につき賃借権を有するとして同人に対して賃料を提供したが受領を拒絶されたため、昭和二十七年五月七日から同人を被供託者として東京法務局に対し賃料を一ケ月二千円の割合で弁済のため供託してきたが、右村川利喜雄は被控訴人を被告として建物収去土地明渡の訴を提起し、昭和三十八年一月十八日上告審たる最高裁判所において和解が成立し、被控訴人は右土地につき賃借権が存しないことを認め同年六月末日までに地上建物を収去して右土地を村川に明渡し、村川は右土地に対する昭和二十七年三月十四日から土地明渡に至るまでの賃料相当の損害金債権を抛棄し被控訴人に請求しないこととなつたことを認めることができる(但し右のうち金員供託の事実は当事者間に争がない。)

そして、被控訴人が昭和三十八年三月二十日控訴人に対して右供託金の取戻を請求したところ、控訴人は被控訴人が昭和二十七年五月七日から昭和二十八年二月二十七日までに供託した合計二万四千円については取戻請求権が時効により消滅したことを理由に払渡に応ぜず、被控訴人は同年五月九日再度控訴人に右二万四千円の取戻を請求したが、控訴人は同月十日右請求を却下したことは当事者間に争がない。

よつて被控訴人の右供託金取戻請求権が時効によつて消滅したかどうかについて判断する。

思うに、供託は、債権者が弁済の受領を拒み又は受領不能の場合或いは債権者を確知することができない場合に債務者が弁済と同様に債務を免れる目的でする弁済供託をはじめとして、国家機関又はその指定する者において金品を保管することによつて果し得る種々の目的を実現するために、国が設けた金品保管の制度であつて、供託の原因もすべて法定されており、また供託官吏は供託が適法であれば供託を受理しなければならず契約自由の原則は適用されないのであるから、その法律関係は公法関係と解するのが相当である。控訴人は供託物の還付又は取戻請求権は譲渡や差押の目的となるから供託の法律関係は私法関係であると主張するけれども、譲渡質入その他の処分や差押を禁止するかどうかは債務者の最低生活の擁護その他の見地から債権の種類に応じて決定すべき立法政策の問題であつて、公法上の債権であれば当然これが禁止され禁止されないものはすべて私法上の債権であると解すべき理由はないから、供託物の還付又は取戻請求権について譲渡や差押が許されるからといつて供託の法律関係が私法関係であると解することはできない。従つて供託金の還付請求権及び取戻請求権については、私法上の債権の消滅時効について十年の時効期間を定めた民法第百六十七条第一項の規定の適用はなく、会計法第三十条の規定によつて五年の消滅時効にかかるものと解するのが相当である。被控訴人は供託の法律関係は公法関係でありかつ供託法及び供託規則には何ら消滅時効に関する規定がないから、供託金の取戻請求権は時効により消滅することはないと主張するけれども、国の又は国に対する公法上、私法上の金銭債権の消滅時効に関する一般的規定と解される前記会計法第三十条の規定の適用が排除される何らの理由も発見できない。

よつて次に時効の起算点について考えるに、その点に関しては会計法その他に何ら特別の規定がないので、同法第三十一条第二項により民法第百六十六条の規定によるべきものと解されるところ、右民法第百六十六条第一項には消滅時効は権利を行使することを得るときより進行する旨規定されており、そして、供託法第八条第二項、供託規則第二十五条によると、供託物の取戻を請求するには供託の原因が消滅し又は供託が錯誤に出たことを証明しなければならないのであるから、供託金の取戻請求権の消滅時効は一般的には供託の原因が消滅したときから進行し、但し供託が錯誤に出たときは供託のときから進行するものと解することができる。

ただ、弁済供託にあつては、民法第四百九十六条、供託法第八条第二項によつて、供託によつて質権又は抵当権が消滅した場合を除いて、債権者が供託を受諾し又は供託を有効と宣告する判決が確定するまでの間は、供託者は何時でも供託物を取戻すことができるのであるから、一見弁済供託にあつては、供託によつて質権又は抵当権が消滅した場合でない限り、供託のときから供託物の取戻請求権の消滅時効が進行するものと解すべきようである。

しかし、民法第四百九十六条第一項後段の規定によれば、供託物を取戻した場合には供託ははじめからこれをなさなかつたものとみなされるのであるから、供託者が供託による免責の効果を維持しようとする限りは供託物を取戻してはならないのであり、そして民法が供託によつて質権、抵当権が消滅した場合等の例外の場合を除いて供託者が何時でも供託物を取戻すことができることとしたのは、もともと弁済供託が債務者に弁済と同一の免責の効果を得させるための債務者の利益のための制度であるから、更にその利益を図つて債務者の選択によつて免責の効果を抛棄して供託物を取戻す自由をも与えたものと解されるのであるが、もしもそのような供託物取戻の自由が存することを理由に供託のときから消滅時効が進行するものと解するならば、債務者に対して時効完成前に供託物を取戻して免責の効果を失うことを強要することとなる場合が多々生じ(被供託者の弁済受領の拒否は多くの場合本件の場合のように賃貸借その他の法律関係の存否について紛争が存する場合であるから、将来債務の不存在が確定されて供託者において供託物を取戻す必要が生ずるかも知れないと予想される場合が多いことはいうまでもなく、また供託証明書の交付を受けることによつて時効中断の措置をとることを通常人に期待するのが無理であることは原判決の説示するとおりである)、法が債務者のために認めた弁済供託の制度の趣旨を没却する結果となつて、極めて不合理である。

また、消滅時効の制度の目的は、権利者が長期間に亘つて権利を行使しない場合いわゆる権利の上に眠る者としてこれを保護せず、かつ時日の経過による権利の発生消滅等についての立証の困難を排除するにあることはいうまでもないところ、弁済供託にあつては、供託物の取戻を請求しないで免責の効果を維持することは、前述の理由によつて、何ら権利の上に眠るものではなく、却つて権利の行使といえるから、供託のときから消滅時効が進行すると解することはむしろ消滅時効の制度の趣旨に背馳し、また、供託は原則として国家機関に対してなすのであるから、時日の経過によつて立証が困難となることも極めて例外の場合に属すると考えられ、この点からも供託のときから時効が進行すると解する何らの必要もない。

従つて、弁済供託にあつては、供託金の取戻請求権の消滅時効の起算点は、供託の原因となつた債務について、紛争の解決、時効の完成等によつて、その不存在が確定的となり、供託者が免責の効果を受ける必要が全く消滅したときであり、供託が供託者の錯誤による場合は供託のときであつて、いいかえるならば、弁済供託については原則として何時でも供託物の取戻ができてもそのことにはかかわりなく、時効の起算点は他の供託と同様であると解するのが相当である。従つて民法第百六十六条第一項の「権利を行使することを得るとき」とは権利の行使について法律上の障害がないことをいうものと一般に解されているが、弁済供託の場合は例外をなすものというべきである。

控訴人は以上のような見解を是認するときは供託官において時効の起算点を確知することが困難であつて不都合を生ずると主張する。なるほど、昭和十年大蔵省令第八号(供託官吏ノ振出シタル小切手ニシテ其ノ振出日附後一年ヲ経過シタル場合及供託金ガ政府ノ所有ニ帰シタル場合ノ取扱方ニ関スル件)第二条によつて準用される大正十一年二月一日大蔵省令第五号保管金取扱規程第十六条によれば、供託官は消滅時効の完成した供託金はこれを国庫の歳入に納付する手続をとらなければならないのであるから、供託官において時効の起算点を確知しえないときはその事務処理に困難を生ずることを免れないけれども、右は法律が供託についてその取扱に適した除斥期間ないしは時効に関する特別の規定を設けていないための欠陥であつて、已むを得ないと解されるばかりでなく、ひとり弁済供託のみについて供託のときから消滅時効が進行するとの解釈をとつてみても、他の供託について右供託の原因消滅による時効の起算点を確知できない困難を生ずる場合が多々あることは免れることができないのであるから、控訴人主張のような事務処理上の不都合の故をもつて弁済供託の供託金の取戻請求権については供託のときから消滅時効が進行するものと解することはできない。

してみれば本件の供託金取戻請求権は被控訴人と村川利喜雄との間に前記内容の和解が成立した昭和三十八年一月十八日に賃料債務の不存在が確定されて供託の原因が消滅し、また何ら供託が錯誤に基いたとの主張立証もないから、同日から時効が進行を開始したと解すべきであり、未だ五年の時効期間は経過していないから、控訴人は被控訴人の取戻の申請を容れて供託金の払渡を認可すべきであり、控訴人のこれを却下した処分の取消を求める被控訴人の本訴請求は正当である。

よつて被控訴人の本訴請求を認容した原判決は相当であるから、本件控訴は理由なきものとして民事訴訟法第三百八十四条によりこれを棄却し、控訴費用の負担について同法第九十五条第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 牛山要 裁判官 福島逸雄 裁判官 今村三郎)

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